石鹸。
やはりいい匂いである。
自分の幼少期の記憶が、ひょっこりと顔を出すような。懐かしいという思いはなんとも素敵な感覚だと。
雲ひとつないとはこのことである。
と言っているかのような天気です!
人間自然現象には敵わないとこを思うと、そりゃ宇宙とは広大なものだものと思います。
宇宙の謎はいつ解き明かされるのでしょうか。
他の人の深層心理がわからないのと同じであり、それは実に宇宙と人間の関わりがあるのではないかと思います。
最近暖かくなってきたのかなと、肌を通して感じるのですが、それはわたしだけなのでしょうか。笑
近くて遠い春の訪問先を訪ねたくなるような、古い友人に会いたくなるようなそんな感覚です。
昨日からたくさんの方のブログを読みあさっているのですが、私にはユーモアと語彙力、知識がまだまだ足りないと痛感しました。十人十色といい、それもそれでいいではないかと言われている気がするのですが、やはり隣の芝生は青く見えるもの、チカラが欲しくなるものです。
平面上のみで他の人を惹きつけることができる方は、執筆関係の仕事をしたほうが良いとすら思います。
クスッと笑うようなことから、なるほどそういうことなのかと思うようなことまで、幅の広いこのブログという世界の代名詞をひたすらに考えているのですが、どうも思いつきません。それも、名前をつけたいと思うが故の思考のショートだと思うのですが、なんとも人間の脳内はわたしにはまだ理解しなくていいようです。
宇宙の話に戻るのですが、人はなぜ宇宙に興味を持ったのか。と思うのです。
どう足掻いても宇宙の果てには行くことができないのに、なぜなのか。その興味はどのような生い立ちを持っているのか。
かれこれこの案件はわたしの中で15年は続いています。
宇宙を自然と言っていいのか、宇宙とは本当に存在するのか、はたまた私たちは本当に人間なのか。考えれば考えるほど、地獄巡りをしているような感覚です。
何かのなぞを解き明かす。ことがわたしは好きなのですが、解けたものは未だにありません。解けないのならそれは貴方の好きなことではないのではないか。と自分に言われているのですが、なんでしょう。なぞが解けないことが好きなのでしょうか。笑
そうだとしたら、どこか幸せを感じます。
歳を重ねるごとに、解けなくなるものが多くなり、わたしはどこに向かっているのだろうと不安と期待が入り混じります。
自分よりはるか人生経験のある方の話しを聞くと、やはりこころに響くものが多くあります。
素敵な時間だなとつくづく思います。笑
石鹸という話からなんとも宇宙につながるのは、その2つが関係しているのでしょうか。笑
そんなことがわかった日には、世界が変わるのだろうなとニタニタと笑ってしまいます。
今日も一日元気に過ごしたいです。
ありがとうございました。
1秒はなんで1秒なんでしょう。
明日朝からサイクリングで、膝小僧を駆使する予定なのですが、なかなか意識の中の世界に迎えられない様です。
題名の通り、1秒はなんで1秒はなんだろうとたまに思います。特にこれといった答えもなく、ひたすらに続く砂漠か地球の支配者である海を旅しているかのようです。
みなさんの考えを聞かせていただきたいなととても思います。
人の話を聞くのが好きです。
自分の知らない人生を知ることができて、本を読んでいるかのような感覚になります。多くの方がそのように感じるのではないでしょうか。知らないですが。笑
そのぶん、自分のことを語るのことが苦手です。
このブログの一本目でも申したように、支離滅裂になり、最終的着地点を見失います。笑
就職活動の面接でも、それは発揮されて、それが性なのでしょうか。落ち込んだこともあります。笑
結果何が言いたかったのか、話せば話すほど、あれもこれもと手を伸ばしては自分の中に取り込んで、その手を伸ばしたものに心を奪われて、まとめができなくなるのではないのだろうかと自分なりに自己分析をしてみたのですが。
事実ただ話すのが下手くそなのではと思います。笑
自分の思考回路を逍遥しているかのように、思考回路という迷路に迷い込んでいるみたいな、どうなのでしょう。笑
また、人に自分の気持ちを伝えることが得意ではありません。
なんだか、自分のことをひたすらに綴っている気がし、これぞ矛盾なのではないかと心配になります。
言葉というものが、自分の口から出た時に、それは変化して相手に伝わるのだなと考えると、とても話をしている場合ではない気がします。ブログというのもそのようなものであるのだなと思うのですが、このブログというものは、吐け口と言いかたは悪いですが、どこかそのような部分があるのではないかと思います。
いろいろな方の書いたものを読んで、十人十色という適切な四字熟語があることに感謝と尊敬が生まれます。
鋭い見解を書いている方、日々の日記、素敵な言葉たちが東屋に集まり、テーブルを囲い団欒しているように、しかしその団欒は各言葉は互いに干渉せずに存在していて、なんとも可笑しな不思議な、しかし心踊るような。
というように支離滅裂なのです。
一体わたしの頭の中はどのようになっているのか。一度頭を開けてコーヒーを飲みながらじっくりと観察をしてみたいものです。
そろそろ眠くなってきました。
寝る瞬間とは、これまた謎の感覚です。
幸せなような抵抗したくなるような、ゼロになる瞬間なのでしょうか。
本日二回目のおやすみなさい。
無二の存在、膝小僧。
はじめまして
とは、やっぱり一番のフレーズだと思います。
自分の頭の中のたくさんの細胞や、神経を通して考え出された言葉を、この様に他の人にお見せするのは、自ら渋谷のスクランブル交差点で裸体になるような、そんな感情を抱きます。
何を書いたらいいのか、それは誰でも最初はそう思うのでしょうが
いざこの様な環境の中で、述べるという行為をすると、出てこないものです。
とりあえず、なんとなく、できたら、毎日
地球から三十センチぐらいの高さにいる、彼に任せようと思います。
沈思黙考という言葉に出逢い、ゲーテに出逢い、そこから広がる世界を感じました。
わたしは本を読むことが好きです。
とはいうものの、月に百冊とか一日二冊の様に、数を読んでいるわけではないので、果たしてそれが読書として成り立っているのだろうか。未だに解せぬこと達です。
読んだ本から感じたことや、わたしの膝小僧という唯一無二の存在を駆使して訪れた場所の感想、ふとした時に脳内に浮かんだことを、放浪の旅の様にできたらなと思います。
今日はここまでにしておきます。
多くの人の目に触れる機会は今後、神のみぞ知るものでありわたしの知らぬでいいことでありますが、やはりわたしは人間なので、期待に心を傾けつつも、自分と膝小僧の今後を、第三者の視点から見守って行きたいと思います。
あともう少しで日が変わり、何千回も訪れたであろう同じ日付になることは、なんだか感慨深いです。
支離滅裂なものであると思いますが、どうかお心を傾けて頂いたらこの上のない感謝です。
おやすみなさい。