服屋。
お久しぶりです。笑
しばらくヨーロッパに卒業旅行という名の異文化理解の旅に出ていました。といえば聞こえはいいでしょうか。笑
と、服屋についてふと考えてみたんですが、服屋というのは私たち個人それぞれの専門の仕立て屋のように感じました。
布を纏わないと生活ができない時代になり、服は私たちが生きる上で欠かせない存在となった今、アパレル業界は世界中で飽和状態とでもいいましょうか、その業界で大成功を収めることはとても難しくなって来ているように感じますね。
ただ単に布を身に纏うだけでなく、お洒落と総して、そこに美的センスや芸術性を垣間見る瞬間が表参道や原宿、渋谷界隈を歩くと多く感じます。
そこで、服屋ってどんな存在なんだろうと考えると、それこそ人の数ほど考えはあると思います。笑
同じ服でもその服を手に取る瞬間考えることは、万人それぞれのその数ほどあるわけでして、例えば彼氏にわたしを綺麗に可憐に魅せたいから、想いを寄せる恋人に少しでもわたしの存在を知って欲しいから、取引先の相手に対して不快な想いをさせないためなど、対象は男女という同じものにあるのですが、そこにいる考えや思いは人それぞれであるなあと感じます。
と、何を言っているのか分からなくなるのはヨーロッパに旅行に行っても変わらないのであるのだなと少し寂しくですが嬉しいような不思議な感覚になります。笑
人それぞれのその人の人生に欠かせない存在となる服を売る服屋は、その人だけの思いのある服を手に取ることができる、貴族専属のテーラーのように、わたしの目には映ります。
ただ単に普段着で、少し背伸びをして、愛する人との大切な日に、そんな誰しも経験するような日々にカレーの隠し味にチョコレートを入れるようなそんな感じ。
なんだか素敵だなと思いました。
布一つであんなにも素敵なものを作れるファッションデザイナーの方々は、どんな目で世界を見ているのかとても気になるところです。
自分にはない視点にお邪魔して見たい気持ちです。
支離滅裂な言葉を並べて、後々読み返すとまたさらにそこから新しい感覚が生まれて行くのがわたしは好きです。遠回しの自己愛のような、そんな感じになるのでしょうか。笑
人は誰だって自分が一番に可愛いものです。笑
ヨーロッパ旅行については後に書いて行こうかと思います。なんとも、本当にわたしは旅行に行っていたのかと感じるような、夢のような時間だったことは確かであります。
春が近づくにつれて、街行く人の服装が軽くなるのがなんとも詩的なものを思わせ、自然に左右される人間の小ささを感じます。
本日はお日柄もよく。
バレンタイン。
目と鼻の先まで迫り来る天使と悪魔紙一重の存在、バレンタイン。
未だ嘗て、本命チョコとなるものを渡したことがありません。友チョコというものを渡したことはあるのですが、なんせそのチョコといっても市販の小分けチョコレートたち。
今年は迷っています。
最近おつきあいをする機会がありまして、縁を結んだのですが、まだここ一ヶ月の話。
はたしてこの状況は渡すべきなのか渡さないべきなのか。
チョコは貰えば嬉しいものなのか。
難儀という壺の中に蓋をされ閉じ込められた気分です。
恋愛経験が少ない分、どうしようかとわからなくなることが多々。
これさえあれば恋愛マスターなる指南書が欲しいものです。笑
兎にも角にも恋愛初心者な私は、恋愛ということ自体理解不能な域に達しています。
1人の人を無償の愛で愛し抜く姿勢の素晴らしさたるや、様々な本たちから聞いています。恋愛あるからこその文学であるのでしょうか。人の心情というものはなんとも脆く美しく、理解のし難いものなのでしょう。
と、このようにチョコを渡すか渡さないかという、ちょっとしたことで悩む22歳の若人は、来たる14日に備えさらに本を読み進めたいと思っている所存です。
自らの直感に従うべきなのか、見て見ぬ振りをすべきなのか。
はて、心苦しいものです。
恋愛に陥ると、恋は盲目といいましょうか、うまく考えることができなくなります。そこには、恥ずかしさ照れ、様々な感情が大海原を駆ける波のように、押し寄せ引いて、わたしのをかき乱します。
と、なんとも変な言い方をしてみたものの、その波に打ち勝つ解決策は見当たらず、海辺に流れついた遠く遥か向こうの国からの風のように、どこかへとまた行ってしまいます。
波であるなら流れに身を任せよといいましょうか、身を任せてみます。
本日もお疲れ様でした。
本日も良い日が訪れること。
夜更かし。
ほど好きなものはありません。
夜はなんともいろいろな事が頭に浮かびます。
なんででしょうか。笑
こんなのただのロマンチストだと思います。
自分自身がロマンチストだとは思いませんが。
しかしロマンチストほど、素敵な言葉達と仲が良いのだなと。
言葉選びの達人と言い換えましょうか、その言葉は貴方のどこから顔を出しているのかとおもいます。
もてなしのさかもりを薔薇で彩り、華やかな貴婦人達の話し声が高く傲慢な天井へと響きます。
と、女性のみの飲み方のことをロマンチストだったらそのように例えるのでしょうか。
もしこのように例えるなら、わたしはそれに賛同したいです。
飲み会がわたしはあまり得意ではありません。酒という悪魔と天使の紙一重の存在を囲み、朦朧とした意識の中、いろいろなことを話すことに恐怖を感じます。彼女達が頭にまわりうまく考えられないから怖いのでしょうか。
しかし彼女達を己に取り込むと可想界へと行けるのではないかと思います。超感覚的な世界。そのフレーズすら、こころを踊らせるものです。
新しい楽しみの泉なのでしょうか。
エッカーマンを装うとそのように言えると思います。
本日も灯ともしごろまでどうかお元気で。
金曜の華のために、煌びやかな宴の準備をしましょう。
夏の日のワンピース。
純真無垢とはまさにこのことだ。
と、そのような少女に出逢ったみたいものです。
わたし自身性別は女です。
ですが、そのような可憐で儚いような、少女を見る時があればなんとも初恋のような、そのように心動かされるのではないだろうかと思います。
夏の少し日差しの強い日の、木々の生い茂る小道で、小花柄のワンピースを着こなし、煌々と照る日の下、名前を呼ばれてみたいものです。
本の中でしか出逢うことはないのでしょうか。
そのような女性、少女をいつかこの目を通して見てみたいものです。
言葉の意味。
本という活字の世界を逍遥している際に、この人生で見たことのない言葉と出逢うことが度々あります。その都度まだまだだなと実感し、もっと知ってやろうと奮起しています。
と、そのような悠久の友を訪ねるようにまだ見ぬ者たちの巣窟である辞書へと手を伸ばし、彼らの足跡を辿り、彼の真へと導かれます。
そのとき、ああなんていう意味なのだ!と驚嘆し、すぐさま彼に私の自宅兼辞書への切符を渡し、どうか訪れてくださることを願いますという思いとともに書き留める。そんな瞬間がとても言葉では言い表せない、心地の良い時となります。
知らないことを知っていくことが、なんとこんなにも素敵なことなのか。小学校の頃の自分に手紙を書きたくなります。
言葉ひつとひとつに詩的なものを感じ、彼らが生まれた瞬間を知りたくなります。
日本語はまた、素晴らしい言語であると自負しています。英語やフランス語、多くの言語を学びたく知識をつける行為をするのですが、なんともその知識の泉から湧いてでた日本語の言葉達に魅了され、いつしか日本の言葉達に囲まれていることも多々。
日本人であることに誇りを持ちます。
さて、少し散歩でもしてきます。
難しい。
恋とは難しいけど愛とは簡単なことなのか
愛とは難しいけど恋とは簡単なことなのか
本を読んでそう感じました。
膝小僧が小僧になりかけた。
サイクリングとはなんと気持ちが良いものなのでしょうか。
自宅から立川まで友人とサイクリングをしてきました。この疲労感のたとえが見つかりません。
日頃自転車に乗ることが多いので、脚はそれほど疲れはしてないのですが、寒さ故の肩こりがとてつもないです。
自転車に乗ると頭がスッキリします。
いろいろなことが考えられるのでしょうか。シャワー浴びてる時アイデアが浮かびやすいようなそのような感じです。
今まで考えたことがないことを考えて見たいものです。知らない世界を知りたくなるとでもいいましょうか、自分とは真反対の人たちの世界にとても興味があります。
願わくば、この命消えるまで世界を旅して、世界に生を受けている一人一人お会いしたいです。そんな大きすぎて小さな夢を抱きます。
次はいつ自転車での長旅に行けるのでしょうか。3月の自分が楽しみです。
お疲れ様でした。